マシソンを「本物のプロ」にしたグリフィーJrとイチローの流儀 (4ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 グリフィーは2000年にシンシナティ・レッズにトレードになりシアトルを去るのだが、その後、信じられない機会が訪れた。マシソンがルーキーだった2006年、レッズがフィラデルフィアに遠征に来たとき、憧れのグリフィーと対戦するチャンスが巡ってきたのだった。

 結果は見逃し、空振りと、2打席連続で三振。言うまでもなくマシソンにとってはこの上ない衝撃的な事件だった。しかも対戦の前日、もうひとつ信じられないことが起きていたのだ。

「登板の前日、実は球場のエレベーターで彼と偶然出くわしたんです。もう緊張して、私は怯えた子犬のようでした(笑)。そんな気持ちを奮い立たせて、『小さい頃からすごくファンだった』と伝えました。すると彼は、『君のことは知ってるよ。ちょうど、スカウティングレポートのビデオを見て、研究していたところなんだよ』と言ってくれました。そして冗談交じりに『明日は手加減してくれよ。わかった?』と言って、その場を去っていったのです。対戦から数日したある日、『これからの野球人生、頑張ってくれ』という彼のメッセージが添えられたサインボールがクラブハウスに届けられていました。今でも大事に自宅に飾っています」

 対戦はこの一度だけだったが、マシソンにとっては忘れることのできない出来事となった。このようにグリフィーはマシソンの野球人生に多大な影響を与えた人物だが、実はもうひとり彼の意識を大きく変えることになった選手がいる。

 それが2001年にマリナーズの一員となったイチローだ。このとき、マシソンは17歳だった。

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