マシソンを「本物のプロ」にしたグリフィーJrとイチローの流儀 (2ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 2002年、マシソンはフィラデルフィア・フィリーズからドラフト17巡目で指名された。だが、2度のトミー・ジョン手術が、彼のメジャーでの活躍を妨げた。結局、メジャーでは15試合の登板(先発は8度)で1勝4敗、防御率6.75の成績しか残せていない。

 メジャーでの最後の登板は、2011年の7月。そしてその年のオフ、マシソンは巨人と契約を結ぶことになった。

「日本の公式球は、アメリカで使われているものとは非常に異なっています。メジャーのボールは表面がツルツルしていて、泥を塗り込んで、自分でいい感じにしていかなくてはいけません。しかし日本は、表面がしっとりしていて、泥を塗る必要もないし、ボールをこする必要もない。日本のボールの方が握りやすいし、投げやすい。ピッチャーにとってすごくいいボールですし、断然好きです。

 メジャーではボールを握りやすくするため、誰もがロジンバッグと松ヤニを持っています。しかし、日本ではその必要がありません。ロジンバッグを使うときは、手が汗で濡れたときだけ。ファンの方たちにはわかりにくいかもしれませんが、ピッチャーとして毎日ボールを投げている者には、その違いは一目瞭然です」

 アイスホッケーやカーリングが国技であるカナダに生まれたマシソンが、野球について詳しく語るのは非常に興味深いことである。

 たしかに、ラリー・ウォーカーやジャスティン・モーノーのようにカナダ出身の強打者は存在するが、ピッチャーで成功したカナダ人はきわめて少ない。事実、メジャーで100勝以上挙げたカナダ出身の投手は、たった4人しかいないのだ。

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