沢村賞の広島ジョンソンが明かす「人生最大の悲劇」とリーダーの自覚 (3ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 そしてこう続けた。

「点差があろうがなかろうが、どんな状況であっても平常心でプレーしなきゃいけない。今まではそれができなかったのだけど、今は何が起きたとしても、いつも通りプレーできる自信がある」

 また、ジョンソンの成功の陰には、彼を支えてくれた人たちの存在も大きい。そのひとりが女房役の石原慶幸だ。ジョンソンがカープに入団して、ほとんどの試合で石原とバッテリーを組んできた。アメリカでは誰とバッテリーを組むのか、その日になってみないとわからない状況だったが、日本では石原と組むことでお互いに信頼できる関係を築き上げた。

 今回の沢村賞を獲得できたのも石原のおかげとジョンソンは言う。その感謝の表れからか、ジョンソンは石原に「Thank You」と「沢村」と彫られた高級腕時計をプレゼントした。

 カーリー夫人も大きな力になってくれたひとりだ。ジョンソンが日本に残りたいという希望を尊重し、夫人が広島の街やコミュニティーにとけ込むことで、落ち着いて野球に集中できる環境をつくり出してくれた。

 そしてもうひとり、ジョンソンが名前を挙げたのが黒田博樹だ。ジョンソンが来日した年、黒田もメジャーから8年ぶりに広島に復帰し、2年間ともにプレーした。ジョンソンは黒田のどんな状況でも動じないメンタルの強さに注目したという。

「黒田さんとはいろいろな話をしたけれど、彼がマウンドに立っている姿を見るだけでたくさんのことを吸収できた。得点を許してマウンドを降りてくる姿、ピンチを抑えてダグアウトに戻ってくる姿......まったく同じなんだ。ピッチャーがマウンドに立つには、こうしたメンタルの強さが必要だと思ったよ」

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