沢村賞の広島ジョンソンが明かす「人生最大の悲劇」とリーダーの自覚

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 昨年11月のある日、クリス・ジョンソン広島)は興奮した気持ちを抑えることができなかった。なぜなら、野球人生のなかでようやくたどり着いた、投手としてナンバーワンであることを証明する物が、地元ミズーリ州ブルー・スプリングズの郵便局に届いたからだ。

昨年、外国人投手として史上2人目となる沢村賞を獲得したジョンソン昨年、外国人投手として史上2人目となる沢村賞を獲得したジョンソン 昨シーズンのジョンソンはタイトルこそ奪えなかったが、カープの優勝に貢献した数々の好投が認められ、投手にとって最高の栄誉である沢村賞を獲得した。しかも外国人投手の受賞は、1964年のジーン・バッキー(阪神)以来、史上2人目の快挙だった。

 だが、ここにたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

 ジョンソンは、2006年にボストン・レッドソックスからドラフト1巡目で指名されたが、6シーズンが経ってもメジャーデビューすることなく、2011年に解雇されてしまった。ジョンソンは落ち込みながらも、独立リーグと契約を交わし、その後もメジャー傘下のマイナー球団を渡り歩いた。

 2014年、ミネソタ・ツインズに所属していたとき、ロースターが25人から40人に拡大される9月になってもメジャー昇格を果たせず、そのままシーズンを終えた。このときジョンソンは、アジアからのオファーにも耳を傾けることを受け入れ、渋々ながら広島と契約を交わすこととなった。その当時は、まさか2年後にアメリカの"サイ・ヤング賞"に匹敵する偉大な栄誉を獲得できるとは考えてもいなかった。

 再び、昨年11月──。心躍る気持ちで郵便物を取りに行き、箱を開けると、ジョンソンは愕然とした。

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