「史上最弱」から
「プロフェッショナル集団」へ。
侍ジャパン激動の1カ月

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Getty Images

 そして準決勝のアメリカ戦でも1点ビハインドの8回、先頭打者の小林に代わり代打で出場すると、ライト前に弾き返してチャンスをお膳立てするなど、少ない打席のなか、存在感を見せつけた。

 嶋基宏の離脱により、緊急招集された炭谷銀仁朗はベンチからチームを支えた。このWBCで一躍"時の人"となった小林誠司は炭谷への感謝の口にする。

「ベンチからピッチャーの状態であったり、配球であったりをアドバイスしてくれるので、本当に力強い存在でした」

 出場機会は少なかったが、2次ラウンドのキューバ戦では3点リードの9回にマスクを被り、西武でもバッテリーを組む牧田和久を好リード。わずか12球で3人を片付ける(2三振)など、圧巻のピッチングを陰で支えた。

「試合に出なくてもやることはいっぱいありますし、いつも出られる準備はしていました」

 試合に出られない悔しさもあったに違いないが、チームのためにできることは何なのかを探し続けた炭谷。まさしく青木が言う"プロフェッショナル"な仕事ぶりだった。

 青木はチームの成長について、こうも語っていた。

「今回のチームは若い選手も多く、すごく野球熱があった。最初はチームを支えたいという思いでやっていましたが、逆にみんなに支えられていた。今日の試合でも、菊池がエラーをした後に自らホームランを打って同点にした。その後の打席で本当に楽になりました。それぐらい若い選手に支えられているのだと......。それって最初からあったものではない。厳しい戦いをしていくなかで生まれたもの。チームの成長を感じることができました」

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