全治1年からの帰還。DeNA山崎憲晴ロングインタビューby村瀬秀信 (5ページ目)

  • 村瀬秀信●取材・文 text by Murase Hidenobu
  • 小池義弘●撮影 photo by Koike Yoshihiro

「野球人生で一番何も残らなかった年。わかったことは『今の打ち方のままじゃ打てない』ということ。もう一度、一軍の舞台で活躍するには、バッティングを変えなきゃいけない。そう思ったとき、僕が出会った中で一番バッティングの引き出しを多く持っていたノリさん(中村紀洋)に相談したんです。中村さんは『俺も今のままでは打てないと思う』と、同じ意見でした。

 僕がそれまでに結果を出したといっても年間80安打弱。それを倍にするには、打ち損じた、打ち損じなかったという結果じゃなく、狙ってヒットが打てるようにならなければいけない。そのためにノリさんにアドバイスをもらいながら、打ち方を変え、身体も変える決断をしました。上にいくため、誰にも文句を言わせない数字を出したかったから。......そこでジャンプしすぎたんでしょうね。ケガをしたということは」

 ケガをする前、打撃練習をすると打球の質が変わっていた。ノリハルにノリヒロが乗り移ったかのように、それまで失速していた打球がフェンスを越えていく。「これで勝負できる」。そう思った直後の大ケガは、どんな苦境もポジティブに乗り越えてきた憲晴をもってしても、さすがに心が折れざるを得なかった。

「元々が前向きな性格なんで、深く考えないようにしていたんですけど......落ち込んだのは全治12ヵ月と決まった時ですかね。あ、何もすることがなくなった。時間もあるし、とりあえず1回落ちといてもいいかな、という感じです(笑)。ただ、医師の話では『手術せずとも3ヵ月で復帰はできる。一方、膝の靭帯再建手術は復帰までに12ヵ月かかるが、肘と違って絶対に術後が安定する』という選択肢があったんです。

 勝負の年でしたから、ごまかしでも絶対に早く戻りたいという気持ちはありましたよ。でも僕は手術を選びました。理由は僕の選手としての特性です。僕が打つだけの選手であればごまかしでもやれるかもしれない。だけど、僕という選手はやっぱり守備と走塁が大前提なんです。無理して3ヵ月で戻っても三遊間の打球に切り返してアウトにできなければ勝負ができないですから」

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