WBCの悲劇。そのとき、豪腕サウスポー石井弘寿に何が起きたのか (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

──2000年は45試合に登板、76回1/3を投げて、4勝3敗、防御率3.30。2002年に最優秀中継ぎ投手に選ばれ、2005年にはリリーフエースとして4勝37セーブを挙げます。2004年のアテネ五輪で日本代表としてプレーした石井さんは、2006年の第1回WBC日本代表にも選ばれました。初めて開催される大会で、監督、スタッフ、選手全員が手探りだったのではないかと思います。

「第1次ラウンドが3月だったので、早く仕上げなければという気持ちはありました。ただ、毎年そのころにはオープン戦で投げますが、オープン戦とは違い、大事な試合に合わせて準備する大変さにその当時は気づいていませんでした。大会用のボールについてはローリングス社製でしたが、メジャーリーガ―と対戦する日米野球で投げたことがありました」

──では、春季キャンプもいつも通り、大会前の調整も順調、ボールに対する違和感も特になし、という状態だったのですね。

「当初は肩にもひじにも問題はありませんでした。『あれっ......』と思ったのは、事前合宿の福岡でのこと。代表選手たちがブルペンに来て見守るなかで、肩が軽かったということもあって、気持ちが入りすぎたのかもしれません。翌日、肩にインピンジメントが起こっていたのです」

──インピンジメント症候群とは、肩を上げたり動かしたりするときに腱板(けんばん)や滑液包(かつえきほう)などが関節で衝突したり挟まったりして痛みが起こり、動かすことができなくなる状態です。どうすれば治まるのですか。

「通常は1週間か10日くらい肩を休めれば大丈夫です。しかし、そのときは壮行試合、第1次リーグと続く予定だったので、痛み止めの薬を飲んで、どうにか投げていました。痛みを麻痺させて投げ続けたことになります」

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