元ホークス斉藤和巳が今だから話せる、復帰を目指した地獄の日々 (7ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News 協力●寺崎江月

――肉体的も精神的にも痛みが伴います。

斉藤 そうです。でも、自分が選んだことなら最後までやってほしい。「決断したのは誰? 誰かに手術をさせられたの?」と言います。僕も「6年間大変だったね」とよく言われますが、自分の決断には責任がありますから。確かにしんどかったですけど、「自分でできると思ったから手術した。最後までリハビリをやり切る」という思いがありました。手術をするというのはそういうことです。

――スポーツ医学は進歩していますが、その部分をしっかり考えないと、簡単には決断できませんね。

斉藤 自分が決めた時点で、責任は本人のもの。覚悟を決めて、手術をしてほしい。リハビリ中は時間だけはたくさんあるので、どうしてもあれこれ考える時間は増えます。でも、不平不満を抱えていては、リハビリはうまくいきませんから。

斉藤和巳(さいとうかずみ)
1977年、京都府生まれ。1995年ドラフト1位で南京都高(現・京都廣学館高)から福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。2003年には20勝3敗の驚異的な成績で最多勝ほか多くのタイトルを獲得。2006年も18勝をあげ、2003年に続いて沢村賞を獲得した。その後、右肩腱板損傷により戦列を離れる。2011年にホークスの三軍リハビリ担当コーチとなって現役復帰を目指したが、2013年7月に選手復帰を断念。2014年からは野球解説者として活動している。

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