「毎晩、高い所から落ちる夢を見た」。斉藤和巳が語るリハビリの6年間 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News 協力●寺崎江月


──「昔はこうじゃなかったのに」と思ったら、リハビリはうまくいかない......と。

斉藤 そうです。そう考えたら、前に進めなくなります。故障の程度はどうであれ、肩にメスを入れたら、過去の100の自分には戻れない。野球を続ける限り、その現実に向き合わなければなりません。ピッチャーにとって苦しいのは、自分が思っているように投げられないこと。スポーツ医学はどんどん進歩していますが、プロで通用するレベルに戻すことはまだまだ簡単ではありません。


──斉藤さんの最初の手術は1998年ですね。

斉藤 一度目は「投げられるようになるかどうかは五分五分」という手術でした。二度目は2008年にロスで手術してもらったのですが、このときは肩の腱板を損傷して、神経系も傷んでいた。腱板をアンカー(体内に入れるビス状の器具)でホッチキスみたいに留めました。当然、可動域は狭くなります。それまでの柔軟性がなくなるので、以前と同じように投げることは厳しい。

──肩が固められている感覚でしょうか。

斉藤 ガッチリ留められているところのまわりの筋肉は弱くなっていきます。3回目の手術のときにはアンカー自体が取れかかっていました。

24時間、ずっと痛みのある生活

──2007年は12試合に先発して6勝3敗。2008年春に2回目の手術をし、長いリハビリ生活に入りました。2010年2月に3回目の手術を行なった後、2011年に支配下登録から外れ、三軍リハビリ担当コーチという肩書で現役復帰を目指します。

斉藤 1回目、2回目は、術後1カ月くらいで身の回りのことを自分でできるようになったのですが、3回目の後は、普通の生活ができるまでにかなり時間がかかりました。3カ月たっても、肩のところまで手を上げるのがやっとの状態。まともに顔も洗えないし、何も持てない。肩を自分で支えられず、腕を下ろしているだけでものすごく重たい。普通の生活が送れないのだから、野球ができるようになるまで相当時間がかかると覚悟しました。

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