「毎晩、高い所から落ちる夢を見た」。斉藤和巳が語るリハビリの6年間 (3ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News 協力●寺崎江月


手術したら、もう昔と同じじゃない

──斉藤さんは南京都高(現・京都廣学館高)時代から、肩の関節がゆるい、いわゆる「ルーズショルダー」だったんですね。

斉藤 そうです。肩をしなやかに使うことができれば、ほかのピッチャーとは違うボールを投げることができるので、関節の柔らかさは武器でもあるけれど、故障しやすいという側面もありました。

──1990年代前半に活躍した伊藤智仁さん(現・東京ヤクルトスワローズコーチ)もそうでした。

斉藤 伊藤さんは異常なほどのしなやかさでしたね。だからこそ、あの消えるスライダーが投げられたんだと思います。ルーズショルダーのピッチャーは、故障しないためのケアも肩の筋肉を鍛えることも必要です。でも、どれだけ注意しても故障の確率が高いのは仕方がないのかもしれない。そこは、両刃の剣というのでしょうか。

──いくら鍛えても限界があると。

斉藤 肩の筋肉の強度を高めるトレーニングをして、常に関節のバランスを保つようにしましたが、それでもいつの間にか肩に負担がかかっていました。ボールは肩だけで投げるわけではありません。下半身の力を肩から腕、指先に伝えて速いボールを投げるその過程で、最終的に痛みは弱い箇所に出てきます。僕の場合は、それが肩だったということです。肩に負担のかからない投げ方もあるのでしょうが、僕にはできませんでした。

──斉藤さんは2003年に20勝をマークし最優秀防御率など多くのタイトルと沢村賞を獲得。2006年には18勝をあげ、2度目の沢村賞を獲得しました(パ・リーグで同賞の複数受賞者は史上初)。しかし、その後は2007年シーズンを最後に、右肩腱板損傷により戦列を離れます。故障の程度にもよるでしょうが、手術前と後では感覚が違うものですか。

斉藤 僕は3度も手術しました。毎回状態は違いますが、絶対に違和感は残りますね。「もう前と同じじゃない」と思ったほうがいい。そこを受け入れないと、リハビリは続けられません。特にボールを持ち始めてからは、壁しかないので......。「元に戻す」のではなく、「新しくつくる」と考えないと、壁を乗り越えることは難しい。

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