「毎晩、高い所から落ちる夢を見た」。
斉藤和巳が語るリハビリの6年間

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News 協力●寺崎江月


──斉藤さんの引退表明が2013年7月29日、引退セレモニーは9月28日でした。そのとき、ボールを投げられる状態だったのですか。

斉藤 引退セレモニーの話をいただいたのが8月頃で、そこからトレーニングを始めました。かっこよく決めたかったのですが、もうあれが精一杯......4球目でやっと、ノーバウンドでキャッチャーに届いて。


──最後の1球を受けてくれたのは、かつて女房役だった城島健司さんでした。

斉藤 引退を決めて城島さんに連絡を入れたときに「もう投げなくていいのか?」と。「最後に1球投げろ。球場じゃなくても、どこでもいいから」と言ってもらったので、「そのときは城島さん、受けてください」とお願いしました。「河川敷でもどこでもいいから、受けに行くから」と言っていただいて......。

──セレモニーでは小久保裕紀さん、王貞治さんから花束を渡されました。

斉藤 小久保さんに来ていただくことはまったく知らなかったので、本当に驚きました。王会長には、「波乱万丈の野球人生だったな。それは必ず今後の人生に生きてくるから」と言っていただいた。最後に、お世話になった方々に送っていただき、あの瞬間は僕の宝になりました。

----斉藤和巳といえば肩の故障を連想してしまいますが、1995年ドラフト1位で福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団して、まだ1勝もしていなかった時期の最初の手術・リハビリと、沢村賞を2度獲得したあとの2回の手術・リハビリでは、意味も過ごし方も違ったのではないかと思います。どちらがつらかったですか。

斉藤 そこは、難しいですね......。正直、どっちもしんどかった。最初の手術後のリハビリは、クビを覚悟して、人付き合いもやめて、必死にやりました。誰も助けてくれる人がいないと感じるほど孤独な時間でしたね。でも、2回目以降は球団が僕をバックアップしてくれた。多くの方々に支えられ、サポートしてもらいました。球団社長だった笠井和彦さんには会うたびに「全面的にバックアップするから。待ってるよ」と言っていただいた。そこが大きな違いです。

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