創価大の恩師が見続けた「田中正義と池田隆英のライバル秘話」 (3ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

 池田は、冒頭で触れた田中がレフト中段に叩き込んだ試合で、バントの打球を処理しようとした際、右ヒザ十字じん帯を断裂。野球生命に関わるほどの重傷を負うなどして、大学生活はリハビリからの始まりだった。

「本当によく辛抱した。努力っていうか、我慢だね。頭が下がりますよ。だって、同級生の正義がどんどん成長して、実績も残して有名になっていくわけでしょ。高校のときは池田がエースで、正義は外野手。そりゃあ、おだやかじゃないですよ。普通だったら......」

 池田は佐賀の唐津出身である。ボーイズリーグの全国大会で活躍した彼を、東京の創価高に進ませた親の苦労を池田は知っている。

「でも、池田はあまりそういうことは言わないんだよね。そこが池田らしい。言わないかわりに、親の恩に報いようとしている。そういう姿が、練習しているときの池田から見えましたよ」

 田中のような"華"はない。しかし、丁寧に低めを突きながら、スライダー、カットボール、チェンジアップ、フォークと、多彩な持ち球から自分で投げる球種を選んで、打者のタイミングを外しながら攻める。

 そうした池田のピッチングは、じつは身体能力で対抗しようとする打者たちにとって最も厄介な投手なのだ。

「とんでもないピッチャーになる可能性があるのは、たしかに正義だと思います。一時は本気でメジャーに行くって考えていたヤツですから。日本のプロ野球を経由せずに直接ね。正義はそれだけの大器なんです。でもね、池田はそういう正義の華やかな部分を見ながら、一方で正義のストイックなところも間近で見ていたわけですよ。正義から吸収したこともいっぱいあるだろうし、4年間辛抱強く練習に励んで、コツコツと自分というのを築き上げていった。それは彼にしかない立派な武器ですよ」

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