2016.12.19

90歳の球友が明かす、
根本陸夫「若き日の武勇伝」の真相

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 法政大といえば、戦後の闇市の時代、根本が東京・渋谷で暴れる硬派学生だったことも馬目は知っていた。法政の同期だったのちの安藤組の組長、安藤昇との関係も耳に入ってきた。

「安藤昇とは友だちだったのか、安藤が根本と一緒にいるようなことは聞いていました。それでやっぱり、根本が表に出ないで指示してたみたいだね。新宿を縄張りにしていた学生方の親分にしても、根本がうしろで糸を引いてたって。そんな男がプロ野球選手になって、今度は監督になったと知ったときにはね、本当にびっくりしましたよ」

 1969年、根本が広島の監督に就任して2年目の9月。宮城球場(現・Koboパーク宮城)で大洋(現・DeNA)との2連戦が行なわれた。東北を中心に自衛隊の駐屯地を転々とし、そのとき仙台の官舎に住んでいた馬目は、久しぶりに球友の顔を見たくなった。試合前日、チーム宿舎の旅館を訪ねて根本に面会した。

「私は『野球好きな連中が集まってるから、家に来ないか?』と誘ったんです。そしたら根本は『いや、明日の試合の準備があるから……』と。監督なんだから、もちろん断りますよね。でも、あのときの私にはそういう事情がわからなかった。『とにかく待ってるから』と言ったんです」

 プロ野球の監督の球友が、試合前日に遠征先の宿舎を訪ねて自宅に誘う。今の時代は当然、50年前の常識でも考えられないだろう。ところが、根本はなにを思ったのか、馬目とともにタクシーに乗った。