2016.12.19

90歳の球友が明かす、
根本陸夫「若き日の武勇伝」の真相

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 奇跡的に助かってベトナムに着いた馬目は、その後、ビルマ(現・ミャンマー)への数百キロにおよぶ行軍で何度となく地獄を見ながらも生き延びた。

「戦地で経験したことを振り返るとき、今は大した世の中だなって、つくづく思います。根本も軍隊に入っていたから、それは同じ思いだったはずです。彼は千葉の九十九里海岸で、アメリカ軍の上陸に備えて塹壕(ざんごう)堀りをやっていたそうですね。そこで終戦を迎えたと」

 終戦の翌年、1946年の5月に復員した馬目は、会社勤めをしたあと、自衛隊に入隊。軍歴があったので当初の2年間は指揮を執っていたが、もともと絵を描くことが得意だったため、3年目以降はポスターなど各印刷物を制作する部署に配属された。同時に自衛隊の野球部にも参加したが、栃木の宇都宮駐屯地にいた52年、根本に再会することになる。

「あれは6月でした。宇都宮の球場で東急(現・日本ハム)対近鉄の試合があって、このとき、根本が近鉄の正捕手だった。私は自衛隊の恰好のまま球場に行って、試合前、場内整理の人に、『昔、私がバッテリーを組んだ根本という選手がいる。ちょっと話したいんだけど、頼む』と言ったら、ダグアウトまで連れていってくれた。それでグラウンドにいる根本に向かって手を上げたら、彼がこっちにすっ飛んできた。あのときは本当に感激しました。東京六大学の法政で活躍したのは知ってましたけど、まさかプロに入るとは思わなかったですから」