2016.12.16

90歳の球友が語る根本陸夫
「少年時代から見えたフィクサーの才」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 とはいえ、53年は年間100試合以上に出場していて、能力自体は「三流」ではなかったはずの根本。はたして、野球の才能はいつ頃から輝き出したのか――。

 この問いの答えを知る人物、元球児の馬目大(まのめ・まさる)に、縁あって面会することができた。茨城中の野球部員だった馬目は、根本と同じ1926(大正15)年生まれ。御年90歳になるかつてのチームメイトに、思い出を聞いた。

「根本は1年生からレギュラーで、キャッチャーでね。茨中(いばちゅう)の野球部にはほかにそんな選手はいなかったですよ。肩も強くて、大したもんだった。それで私はピッチャーで、根本とバッテリーを組んでいたんです」

 旧制中学は5年制で、6年制の尋常小学校を卒業してそのまま進む場合と、2年制の高等小学校を経由して進学する方法があった。したがって、中学5年生の年齢は現在の高校2年もしくは大学1年に相当したから、そのなかで1年生レギュラーとは、根本の野球レベルは相当に高かったと言える。

「身長170センチぐらいで、体は大きくなかったけど野球はうまかった。2年生のときは根本が3番を打って、私が4番という試合もあったかな。でも、茨中は強くなかったんです。あの時代、水戸商が強かった。石井藤吉郎がピッチャーでいてね」

 水戸商の大型左腕だった石井は、戦後、早稲田大の強打者として活躍。法政大との試合で打席に立つと、同郷の捕手・根本から声をかけられることもあったらしい。おのずと中学時代の対戦にも興味が湧くが、馬目自身、細かな野球の記憶は薄れているという。ただ、そのかわり、根本の普段の行動は鮮明に憶えているそうで、これは馬目自身の学校生活と関係していたようだ。