目配り気配り心配り。引退する黒田の専属捕手・倉義和が語るカープ人生 (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Kyodo News

──  "勝てる捕手"とは?

「最初はわからなかったから、練習するしかなかった。当時の片岡(新之介)二軍バッテリーコーチに配球や動きなど、捕手としての基礎を徹底的に教えてもらいました。楽して一軍には上がれないと思っていたので、苦しい練習にも耐えられました。下手くそな自分が技術を上げるため、試合に出るためには、何をしたらいいのか── 。そう考えると、練習しかありませんでした。捕手としての技術を習得するためには数を多くやらないといけない。体に覚えさせることがいちばんの近道だと思ってやっていました」

──  8年目に一軍に定着し、正捕手を争う立場となりました。

「しんどくて、妥協したい気持ちは当然ありました。でも2年目のオフに結婚して、結婚から3年後には子どもが生まれました。守っていかないといけないものができたので、きつい練習中に声には出さないけど『家族のためだ』と心の中で叫びながら踏ん張っていたときもありました(笑)」

── 一軍に定着すると、下積み生活とは違う苦労もあったと思います。

「チーム内でも決して安泰ではないですし、一軍に上がれば自分のチームだけでなく、他球団の捕手にも負けたくないと思うようになります。当時はヤクルトに古田さんがいて、中日には谷繁(元信)さん、阪神の矢野(燿大)さんという素晴らしい捕手がいたので、ああいう捕手になりたいという気持ちが沸きました」

──  チームには年下の石原というライバルがいました。

「ライバルといえばライバル......。でも競争はあったでしょうが、出番を決めるのは監督なので、相手がどうということではなく、自分が頑張って認めてもらうだけと思っていました」

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