「戦力外通告の男」がメジャー目前に。中後悠平が語る波乱万丈の1年 (5ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sportiva

 それができるようになった要因のひとつに、腕を上げたこともあったと、中後は言う。

「これまでは、低めは"かいていた"だけ。小手先でコントロールしていたのが、今は腕というかヒジを上げて、手首を立てて投げています。ここを意識して投げられるようになったことでタテ回転のボールがいき、ストレートの質も上がり、インコースのコントロールもしやすくなりました」

 とはいえ、今も制球に対しての不安が消えたわけではない。今季も、ルーキーリーグの序盤はリリーフで登板した3試合で6つほど四死球を与えたときがあったという。

「『このままじゃ日本にいたときと一緒や』と......基本的な練習法を変えたりしましたが、いちばんは考え方を変えました。監督、コーチから『とにかく楽しんで投げろ』と言われて、そう思うようにやってみたんです。そうしたら、ほんとにボールが安定しはじめたんです」

 マウンドやボールに慣れてきたこともあったかもしれないが、本人のなかでのいちばんの変化は、新天地で芽生えた"気持ちの変化"だった。「楽しんで投げる」──その心境に達した大きな理由は、こんな思いからだった。

「嫁さんと子どもを日本に置いてきているわけですからね」

 アメリカに渡り、あらためてメンタルの大切さを感じたと中後は言う。

「プロに入ってくる選手はみんな力があります。結果を分けるいちばんの理由はメンタルだと、今は本当にそう思います。アマチュア時代は打たれても、家族もいないし、二軍に落とされることもない。でも、プロはお金をもらって、結果が出ないと二軍に落ちて、そこでダメなら野球人生が終わり、給料もなくなってしまう。まさに去年の僕がそうでした。大事なのは、壁にぶち当たったときにどういう受け取り方、考え方をするか。日本にいるときの僕は、『肩が痛い』とか『使ってくれないから』とか、そうしたことを理由にしていました。そういうことがアメリカに来て変わり、ボールも変わっていったんだと思います」

5 / 7

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る