プロ野球トライアウトに現れた「左腕ナックルボーラー」は何者なんだ? (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami shirt
  • 祐實知明●写真 photo by Sukezane Tomoaki

 そもそも植松がナックルボールを投げ始めたのは、軟式での野球部で主にファーストだった中学時代。あくまで遊び感覚でのことだったが、変化量は大きかった。高校でも余裕のある状況下でたまに投げ、プロでもそうだったという。ただ、プロの世界でナックルの練習をしていると、場合によっては遊んでいるように見えることもあり、堂々と磨くことが難しい状況もあった。日本でナックルボーラーとして活躍した投手が限りなく少ないこともナックルに対する周囲の見方を厳しくした。

 しかし、そのナックルに頼らざる得ない状況が植松に来てしまった。プロ3年目にはファームのローテーションに入り、チームトップタイの5勝をマーク。しかし、その年に左肩を痛め、オフに手術。6年目には両股関節も手術となり、ストレートの威力が戻らなくなった。そこで「持ち味を出さなければ生き残れない」と苦肉の策で頼ったのがナックルだった。一昨年のオープン戦で対戦した柳田悠岐(ソフトバンク)や井端弘和(当時・巨人)らの打席での反応に手ごたえも感じ、そこからは生き残るために、ブルペンでも積極的に投げ、精度を高めていった。

「ナックルは思い切り腕を振らなくてもいいから自分的には逆にコントロールしやすい面もあるんです。コーナーや高低も考えず、真ん中を狙って、ボールの軌道のイメージは(サッカーの)本田圭祐の無回転シュートです(笑)」

 幼少期はサッカー少年でもあった植松らしいたとえだったが、その意味は「無回転で飛んでいく軌道が似ているから」ということだ。

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