傷だらけのドラフト1位が、人気球団の重圧から解放されて思うこと (7ページ目)

  • 取材・文:元永知宏 Text by MOTONAGA TOMOHIRO
  • photo by Kyodo News


──喜田さんは、プロ野球を引退したあと、アメリカで絶大な人気を誇るスポーツブランド「アンダーアーマー」の日本の総代理店であるドームに所属していました。

「そうです。当時の私には、野球から離れてモヤモヤしている部分がありました。このまま我慢して一生勤めるか、野球に関連した仕事をするのか、すごく悩みましたね。上司に相談したら『自分に正直になったら?』というアドバイスをいただきました。トヨタを辞めるとき、いろいろな人に、バカじゃないのかと言われましたよ。"世界のトヨタ"ですからね。でも、私は野球だけでなくスポーツ全般が好きなので、その楽しさを感じながら仕事をしたいと考えたのです」

──的場さんはドーム入社後、神奈川県川崎市にある「アンダーアーマーベースボールハウス」の店長を任されました。現在は、営業本部リテール部エリアマネージャーとして勤務しています。的場さんの野球人生は、いいことと悪いことの繰り返しでしたが、プロ野球選手を目指す若い人たちに何を伝えたいですか。

「私はうまくいっているときでも、マイナス思考になることが多かったように思います。生きていると、いいことも悪いこともあります。若い人には、目の前のことで一喜一憂せず、いつもポジティブに解釈して、前を向いて歩いてほしい。つらいときには『いまは神様が我慢しろ』と言っているんだ、勉強する時期だと考えて我慢する。そうしているうちに、きっといいことが巡ってきます。どんなときでもポジティブに。プロ野球で活躍している人はみんなそうですから」

的場寛一(まとば・かんいち)
1977年、兵庫県生まれ。弥富高、九州共立大を経て、99年ドラフト1位で阪神タイガースに入団。プロ1年目から一軍出場を果たすものの、故障に苦しみ、2005年に現役を引退。06年からは社会人野球のトヨタ自動車で活躍。11年にはIBAF ワールドカップの日本代表にも選出された。現在は、株式会社ドームに勤務。的場氏の傷だらけの野球人生は、『期待はずれのドラフト1位──逆境からのそれぞれのリベンジ』(岩波ジュニア新書)に詳しい。

■1990年ドラフト 横浜大洋1位 水尾嘉孝>>

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