傷だらけのドラフト1位が、人気球団の重圧から解放されて思うこと (3ページ目)

  • 取材・文:元永知宏 Text by MOTONAGA TOMOHIRO
  • photo by Kyodo News


■練習から注目されるプレッシャーで平常心を失った■

──85年の日本一以降、阪神はまた低迷します。1990年代になっても、92年の2位以外はずっとBクラスで、99年に名将・野村克也監督が乗り込んできました。的場さんは名門復活が期待されるシーズンのドラフト1位ですから、注目されるのは当然です。

「キャンプ初日のバッティング練習のときのことは忘れられません。報道陣がバッティングケージの後ろにずらっと並んで、私にカメラを向けています。一球ごとにシャッターが切られるのですが、その『カシャッ、カシャッ』という音が重なって、すごい重圧を感じました。バッティング練習だけで、これほどまで注目されるとは思っていなかった。とても平常心ではいられません。もともと大観衆の中でのプレー経験が多いほうではありませんが、あの重圧は異常でした。カメラにずっと追いかけられながら、練習していましたね」

──2000年4月11日に一軍デューを果たしたものの、左ひざを痛め、プロ1年目はわずか11試合の出場、放ったヒットは5本だけに終わりました。

「シーズンに入ってから、左ひざに痛みが走りました。診察の結果、膝蓋靭帯という皿の上にある靭帯が半分機能していないことがわかったのです。痛みを我慢しながらプレーを続けましたが、ある日突然、左ひざにまったく力が入らなくなった。想像以上に悪い状態だったので、シーズンオフに手術をしました」

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