2016.09.26

ホークスを最強軍団に変える。
根本陸夫が果たした最後の仕事

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 補強と戦力整備は順調だったが、王ダイエー1年目の95年は54勝72敗4分けで5位。周りの期待に反して前年の4位より下降し、96年は最下位。97年は同率4位、98年は同率3位と上がるも、周りではそれ以前から、監督交代を求める声が出ていた。

 西武同様の成果をすぐに出せると見られた根本に対しては、批判、反発もあった。瀬戸山によれば、オーナーの中内の気持ちが揺れ動いた時期もあったというが、根本は「5年も契約しているんだから、5年はやらさないとダメだろう」の一点張りだった。そして王自身、こう言っている。

「たぶん、ダイエーの本社筋ではね、僕を『代えろ』っていう話がものすごくあったようだけど、根本さんが頑張ってくれたんだと思う。時間はかかっちゃったけど、よく我慢してもらったと思うよ」

 根本は身を挺して、王の5年契約をまっとうさせようとしていた。5年目となる99年1月には、前年12月のスパイ疑惑事件を契機として、球団社長に就任する。あらためて、球界内で注目の的になった。

 ところが、社長となったわずか3カ月後の4月30日、根本は心筋梗塞のため72歳で急逝。皮肉にもその年、王ダイエーはリーグ優勝を果たし、日本シリーズも制することになる。主力メンバーは93年以降に入団した選手が中心で、勝てないなかでもチーム作りは着実に進んでいた。

 ホークスはその後、パ・リーグの強豪となり、球団がソフトバンクに変わったあとも4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成。王が監督を退任して球団会長になると、秋山、さらには工藤があとを継いだ。いずれも根本が西武から獲得した人材だが、現監督の工藤はこう語る。