カープ最初の黄金期の礎を築いた根本陸夫という男 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

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 藤田はオーナーの松田恒次と接点があり、「選手を育てられるコーチ」を求められて根本を推薦。その人となりを松田が知っていたことで、67年、長谷川良平監督のもと、根本はヘッドコーチに就任した。

 しかし同年の広島は最下位に沈み、長谷川監督は解任。根本も辞任を申し出たが、逆に監督に推されて昇格。オーナーの松田は「全試合、負けてもいいんだ。将来につながる強いチームを作ってくれ」と、41歳の新監督に期待を寄せた。マスコミも根本に注目し、いかにも仁侠映画に登場しそうな眼光鋭い風貌もあって"カープの若親分"と名付けた。

 根本はまず補強に動き、阪神からベテラン強打者の山内一弘を獲得。毎日-大毎(現・ロッテ)時代に首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回という超大物も阪神では成績が下降気味だったが、前年に通算2000本安打を達成。万年Bクラスの"ぬるま湯"に浸かっていた広島の選手にとって、その野球に対する姿勢が格好の手本になると根本は考えた。実際、選手たちは山内を見てどう感じたのか。当時、入団4年目の若手だった衣笠祥雄はこう回想する。

「山内さんはキャンプでご自身の練習をやるだけでしたが、我々よりはるかに練習されていました。いいお手本、いい教材を目の前に置いていただいたと、今でも思います。我々からしたら、2000本安打も打っておられて、すべてのタイトルを獲られた大選手が『まだこんなに練習するんだ』というのは本当に驚きでした」

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