台湾のレジェンド選手・張泰山が語る「日・台・韓」の野球の実力 (4ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text & photo by Asa Satoshi

── そのアテネ五輪の出場をかけた札幌でのアジア選手権にも張選手は出場しています。当時アジアの出場枠は2枠。事実上、日本と韓国と台湾で争う状況でしたが、正直、2位以上に入ることができると思っていましたか?

「いいえ。相手は強豪の日本、韓国ですからね。ただ、その2つの国にはプレッシャーがあったと思います。我々は国際大会によく出る分、プレッシャーには慣れていましたし、追う立場なので気持ちは楽でしたね。それに各チームとの対戦は一発勝負。だから結果はどう転ぶかわかりません」

── あの大会では、初戦で2枠目を争うライバル、韓国にサヨナラ勝ちを収めて、アテネ行きを引き寄せました。日本に負けても、中国戦は白星を計算でき、韓国は中国戦をとっても、日本戦で絶対勝たねばならなくなりましたから。

「そうです。日本には大差で負けましたけど、中国戦はきちんととりましたね。最終の日韓戦は球場で観ていたんですが、日本が勝った瞬間、つまり我々がオリンピック出場を決めた瞬間はみんな泣いていました。銀メダルを獲った1992年のバルセロナ以来、久々の出場でしたから」

── そしてアテネ五輪。あの大会は強豪のアメリカや韓国が出場を逃し、台湾も十分にメダルを狙える位置にあったと思いますが、大会前、手応えはありましたか?

「いや、なかったです(笑)。でも、先ほど話したように、あの日本戦は勝てると思いましたよ。たしか追いつかれた7回の我々の攻撃でランナーを置いて外野に飛んだ強烈なライナーを好捕されたんですよ。あれが抜けていれば、銀メダルは獲れたかもしれませんね」

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