都立高から初の球宴。ヤクルト秋吉亮はタフな「でんでん太鼓」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 秋吉は東京都足立区出身。中学では軟式クラブの足立ヤンガースに所属し、捕手兼控え投手としてプレーしていた。高校進学に際して秋吉が考えていたことは、「自分が試合に出られる学校」ということだった。

「強いチームに行っても、試合に出られなければしょうがない。足立新田は都立のなかでもそこまで強いという認識はなくて、こういうところで結果を出せばいいと思っていました。あと、家から近いというのも決めた理由のひとつですね(笑)」

  足立ヤンガースから足立新田に進んだ先輩がいた縁もあり、畠中陽一監督(現・南平高校)から「来てくれ」と声を掛けられた。ちょうどこの2004年度から 「文化・スポーツ等特別推薦」という制度ができ、都立高でもスポーツで優秀な成績を収めた中学生が入学できるようになった。秋吉はこの制度によって、足立 新田に入学している。

 1年夏から一塁手のレギュラーとして出場し、1年秋から投手に転向。そして、秋吉は畠中監督からある指令を受ける。

「サイドスローに転向しろ」

  それまで上から投げていた秋吉は「なぜ自分がサイドに?」と疑問に思ったという。当初はしっくりこず、結果も出なかったが、スライダーが大きく曲がるよう になった。そして2年秋には、ブロック予選で早稲田実と対戦。1対3で敗れたものの、5回までノーヒットに抑える好投を見せた。相手のエースはのちに「ハ ンカチ王子」として甲子園のスーパースターになる斎藤佑樹(現・日本ハム)だった。

「斎藤は当時から有名で知っていました。負けたとはいえ、強いチームを相手にそれなりに投げられたので自信になりました」

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