日米通算2000本安打の福留孝介が語る「忘れられない1本」 (4ページ目)

  • 岡部充代●文 text by Okabe Mitsuyo
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

―― アメリカへ行かれたことも含めて、その時期があったからこそ、今があると。

「どれが正解っていうのは、たぶんないと思うんです。そのとき、その場所でやってることが、自分の中での正解なんだろうし。かといって、今やっていることが正解かと聞かれたら、それはわからないですけど。失敗かもしれないし。でも、正解か失敗かは自分の気持ち次第だから。アメリカに行ったからマイナスになったとは一切、思わないし、それはそれで勉強したと思ってるだけですから」

―― 2000安打の中で、特に印象に残る1本は。

「2002年の巨人戦(9月29日)かな。初めて首位打者を獲った年に、ちょうど松井秀喜さんと最後の争いをしていて、東京ドームで(3回無死一塁から)エンドランのサインが出て、でライト前に打った。そのヒットかな」

―― なぜ、それが一番印象に残っているのでしょうか。

「首位打者というタイトルを獲りたいと思って臨んでて、それを競っていたのが松井さん。結果的に、松井さんの三冠王を阻止した年だったんでね。直接対決で、僕は初めてのタイトル争いでガチガチに固まっていたんです。当時の監督たちがそれを見て、無理やりにでもバットを出させようってことで、エンドランをかけてくれたんです。そのなかで打てた1本でしたし、それで気持ちがすごく楽になったんで。そういう意味で印象深いヒットですね」

―― エンドランのサインが出ていなければ、バットが出てこないくらい硬くなっていたのでしょうか。

「たぶん、出てないでしょうね。ここで1本打つだけでも違うっていう思いも強かったし。初めてタイトルを獲るって、そんなものですよ」

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