山田哲人、豪打の原点は「少林寺日本一のDNA」と「超高速ハイハイ」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 小学5年ぐらいから中学3年まで、毎晩マンションの駐車場で素振り、ティーバッティングを行なった。一昨年の大ブレイクで、杉村繁コーチと取り組んだ何種類ものティーバッティングが話題になったが、すでにこの頃からバリエーションに富んだティーバッティングは山田の日課となっていた。

 ボールの代わりに使っていたのは、芯を捉えなければ飛ばないバドミントンのシャトル。これを知規さんが真横やうしろから投げたり、真上から落としたりして打たせた。時にはタイミングを変え、約5メートルの位置から思い切り投げたりもした。軌道の変化や時間差に対応しようとするなかで、無駄な動きが省かれ、バットの芯をシャトルへ最短距離で持っていこうとする動きも身についた。

 また、知規さんは「重い・普通・軽い」の3種類のバットを山田に振らせた。特に、軽いバットを振らせることで筋肉が普段以上のスイングスピードを覚えていった。

 岡田監督も山田の優れたスイングスピードについて、「パワーよりも無駄のない体の使い方があってこそ」と語っていたが、少年時代の日々の積み重ねが理想のバッティングフォームをつくり上げていったのだろう。

 母の則子さんは、山田の幼少期のエピソードを語ってくれた。

「とにかく、ハイハイは異常に速かったんです。水泳のバタフライみたいに手を回して、それがとにかく速くて……」

 知規さんも続く。

「ボールを拾いに行ったりするのも速かったですね。あめ玉を落として、『食べたらあかんぞ!』と言う前に拾って、口に入れているようなところがありました」

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