山田哲人、豪打の原点は「少林寺日本一のDNA」と「超高速ハイハイ」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 中学時代の恩師からも、山田のスイングについて聞いたことがあった。山田が所属していた伊丹ヤングを創設し、現在チームの会長を務める鯛島廣美氏は、「足と肩もありましたけど、これまで私が見てきた中で、中学生の段階でもっとすごい選手はいました」と前置きした上で、こう続けた。

「体は細かったけど、たしかに振る力はありました。ウチはとにかくバットを振るチーム。そこで鍛えられた部分もあったと思います」

 土日以外でも学年ごとに週2回、高速道路の高架下で練習を行なっていた。バッティング練習なら4カ所、ティーバッティングなら15カ所以上が同時に行なえて、使用するバットは900グラムから1キロの竹バット。中学生にしてはかなり重いバットを日常的に扱いながら、スイングする力はついていったのだろう。

 さらに、今の山田のスイングを語る上で忘れてはならないのが、父・知規(とものり)さんの存在だ。知規さんは、本格的な野球経験はないが、山田が小学2年のときに宝塚リトルに入団すると、ほどなくしてコーチに就任。徐々に指導への興味を深めていった。

 その知規さんがグラウンドでも家でも、山田に繰り返し言っていたのが「とにかくバットを速く振れ」ということだった。以前、山田本人から子ども時代の思い出を聞いたときも、真っ先に口にしたのが父の教えだった。

「打ち方とかじゃなくて、『とにかく速く振れ』といつも言われていました。だから、どうやって打つとかより、スイングを速くすることばかり考えていました」

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