目覚めたスラッガー江越大賀。スケールは高校時代から飛び抜けていた (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 だが江越は、九州担当の多くのスカウトが望んでいたプロ志望届を出さなかった。あるスカウトは「出していたら、絶対に指名されていた」と語る。出さなかった理由を江越に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「今の段階で、これぐらいの選手は全国にたくさんいると思います」

 あの年、高校生野手でドラフト候補としてよく名前が挙がっていたのは、山田哲人(履正社→ヤクルト)、吉川大幾(PL学園→中日、現・巨人)、西川遥輝(智弁和歌山→日本ハム)、榎本葵(九州国際大付→楽天)、山下斐紹(習志野→ソフトバンク)たち。しかし、三拍子揃い、スケールのある右のスラッガータイプという点で、江越は間違いなく筆頭だった。山田にしても、当時、長打のイメージは江越ほど強くなかった。

 とにかく、あの頃の江越は比較するものがなく、自信を持てずにいるようだった。最後の夏に爆発できなかったことも大きかったのだろう。ただ、高校通算87本塁打を放った中田も、最後の夏は江越と同じく決勝で敗れ、計7試合で本塁打はゼロ。ヒットは9本だが、まともな当たりは3本ぐらいしかなかった。「高校生は結果や数字よりも、素材をどう見るかが大事」というスカウトがいたが、江越は間違いなくプロが欲した選手だった。それでも江越は早々に大学進学(駒澤大)を決めた。

「大学で足りないものを身につけて、4年後にプロに行きます。加藤監督からは『プロに入るためじゃなく、プロで成功するための4年間を過ごせ』と言われました」

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