目覚めたスラッガー江越大賀。スケールは高校時代から飛び抜けていた (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 投手としては制球にやや難があり、海星では2年から野手として出場することが多くなった。本人曰く、「その頃から大きく足を上げて打つようにしたら、ボールが飛ぶようになって……。バッティングも楽しくなっていた」とのこと。ちなみに、江越の高校第1号は、2年の4月の練習試合だった。それから一気に打ち始め、2年生の1年間で22本を量産した。ただ、打てるポイントが少なく、穴も多かった。当時、加藤慶二監督は江越に対してこう語っていた。

「ボールを捕まえたときの打球は、それはすばらしい。ただ、僕のイメージでは練習試合も含め、通算打率は2割6~7分。典型的なローボールヒッターで、ピッチャーがストライクを取りにくる真ん中付近の高さでも苦労しています」

 だから、低めのボールにはよく手を出した。2年冬からコンパクトに上から叩くスイングに励んだが、「確率は上がってきたけど、ホームランが出なくなりました」(江越)。その言葉通り、3年時に放ったホームランはわずか4本。それでも冒頭の清峰戦の一発は、スラッガーとして“超一流”の資質を示すものだった。

 ちなみに、3年夏の県大会で決勝まで6試合を戦った江越の通算成績は19打数3安打、打率.158と物足りないが、四死球は10。しかも、そのうち死球は5個で「ほとんど打てる球がなかった」(江越)というほど、厳しいマークにあった。この数字を見れば、いかに相手から恐れられていたかがわかる。

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