ひちょり少年を笑う者は、いつも「野球」で黙らせてきた (6ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi

 2006年に日本一、2007年にはリーグ連覇。栄光が続いた後、森本にとっては試練の年が続いた。2008年からなんと3年連続で死球を受け、指を骨折するという不運があったのだ。故障の影響もあって打撃不振に陥り、糸井嘉男ら若手の台頭もあった。それでも森本は、当時を「ツイてる」と総括する。

「苦しい時期を味わえたことは、勉強になりました。『野球がしたい!』と心から思えましたから。ファームで苦しんでいるときは、いつも前を向いて練習していた稲葉さんの姿が浮かびました。あの時期は自分にとってすごくプラスになったし、成長できたと思います」

 それからDeNA、西武での5年間を経て、森本はユニフォームを脱いだ。2015年9月27日に行なわれた森本の引退セレモニーでは、稲葉が花束贈呈に現れ、新庄からはメッセージが贈られるサプライズもあった。

「稲葉さんが来てくれて嬉しかったですね。新庄さんだって、(球団関係者が)メッセージをもらうのによく連絡が取れたなと思いますよ」

 そう言って、森本は無邪気に笑った。17年間の現役生活を終え、現在は解説者として新たな野球人生をスタートさせている。

 かつて、いつも帽子をかぶっていた少年は、今もプライベートで帽子が手放せないという。それは、帽子をかぶっていないと常に「森本だ!」と声を掛けられるほどの存在になってしまったからなのだ。

(つづく)

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