ひちょり少年を笑う者は、いつも「野球」で黙らせてきた

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi

 森本自身は「この経験がプロで生きたかはわからない」と語るが、実際にやっていたことは西武在籍時の「お山の大将」の扱い方と変わらない。森本は知らず知らずにそのすべを身につけていたのだろう。

 個人とのコミュニケーションはどのように取るのかを森本に訊くと、こんな答えが返ってきた。

「まず自分の存在を相手に認めさせることからですね。直接野球の話をしなくてもいいから、まず『自分はこういう人間です』という部分をさらけ出す。その上で、相手がどういう考えを持っているのかを聞き出します。そこで向こうが10あるうちの3でも4でも出してくれれば十分。毎日一緒にいるわけですから。最初はみんなに3ずつ振りまいておいて、次は5になって、時には7いってみたり......。もちろん、僕のなかの感覚ですけどね(笑)」

 森本は1998年秋のドラフト会議で日本ハムから4位指名を受けてプロ入りした。プロ2年目から一軍で出場するなど、早くから頭角を現したものの、しばらくはレギュラーに定着できなかった。

 そうした時間が長く続いたからだろう。森本は次第に周囲に心を閉ざすようになり、コーチからのアドバイスを素直に受け入れられない時期もあったという。

「言われた通りに打っても打てなかったし、自分でも『そんな打ち方をしたくない』と思っていて、やっぱり結果が出ない。いつしか、指摘を受けるたびに『またその話?』とうんざりするようになってしまいました」

 今では考えられないことだが、チーム内の先輩をも煩わしく感じ、関係を持つことを避けていたこともあったという。そんな状況に陥っていた2004年、「あの男」がファイターズにやってくる。

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