森本稀哲「引退試合の奇跡」を生んだ、プロ17年間の全力プレー (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi

 それにしても、なぜ2年間しか西武にいなかった森本が、これほどまでにチームに影響を与えることができたのだろうか。

 試合後の引退セレモニーで、メヒアが森本のために発信したメッセージが印象的だった。

「とても短い間でしたが、1番の仲間でした。ヒチョリさんみたいな選手がいなくなることはとても寂しいです。これまでやってきたことを、これからも誇りを持って実行してください。野球についてたくさんのことを教えてくれて感謝しています。日本語も教えてくれてありがとう! 本当にお疲れ様でした。チョリース!!」

 森本は日本ハム時代から、外国人選手とコミュニケーションを取ることを大事にしてきたという。

「日本ハムがヤンキースと提携していたので、プロ2年目にヤンキースのミニキャンプに参加したんです。英語は話せないし、言葉の壁を感じていたんですけど、話し掛けてくれるチームメイトがいたんですね。言葉はわからなくても、理解してくれようという姿勢がすごくうれしかった。それから、日本に来る外国人選手に対してはとにかくコミュニケーションを取ろうとやり続けてきました」

 メヒアは森本がこれまで培ってきた「外国人選手もてなし術」の集大成ともいえる存在だった。ベネズエラ出身のメヒアに森本は積極的に話し掛け、食事にもよく誘った。森本は「できるだけ通訳を使わずに話し掛けた」という。一対一でのコミュニケーションにこだわったのだ。だが、「言葉の壁」は問題なかったのか。そう訊くと、森本は破顔一笑してこう答えた。

「トライ・トゥ・スピーク・イングリッシュですよ!」

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