【根本陸夫伝】頑なにダイエーの監督を拒む王貞治をくどき落とした男 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

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「本人が全然その気になってないんだから、それは断りますよ。でも、だんだんだんだん、物足らなくなってくるんだよね。戦いの輪の中にいた者が輪の中から外れちゃうと。最初のうちは、輪の中から外れるのは気分的にはすごく新鮮で、窮屈な思いもしないからいいんだけれど、戦いの輪の中でずーっと生きてきた人間としては、輪の中から外れるのは寂しい、っていう思いもあるんだよね。だから、今、ユニフォーム脱いでいる人たち、どこの誰でもみんな、声かければ『ノー』という人は絶対にいないと思う。野村克也さんなんて今もそうじゃないかな(笑)。それぐらい、戦いの輪の中にいた人は、もし戻れるなら、っていう思いを持ってるんだよね」

 王が「もし戻れるなら」と思い始めた時期、西武球団の取締役編成部長だった根本が、ダイエー(現・ソフトバンク)の監督に就任した。同時に代表取締役専務にして球団本部長を兼任し、現場だけでなくフロントのトップになった。そのフロントのトップとしての最優先事項が王監督招聘だったが、根本自身はまだユニフォームを着ている。ゆえに王は、最初に声をかけられた時、まったく本気にしなかった。93年のことである。

「根本さんは僕にとって野球界の大先輩で、以前から球界の行事なんかで会っていました。でも、あのときは驚いた。なんたってね、根本さんがダイエーホークスの監督1年目の、夏前ですよ。まだ監督としてやり出した2カ月か3カ月のときに、『おい、ワンちゃん。オレのあと、来年から監督やってくれ』って言うわけ。こっちはびっくりしてね、『そんな、始まってすぐになに言ってるんですか? まだ監督になったばっかりじゃないの』って言っちゃいましたよ(笑)」

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