2016.03.20

【根本陸夫伝】
「巨人=絶対」という球界の構図を壊した男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

【人物紹介】
根本陸夫…1926年11月20日、茨城県生まれ。52年に近鉄に入団し、57年に現役を引退。引退後は同球団のスカウト、コーチとして活躍し、68年には広島の監督を務める。監督就任1年目に球団初のAクラス入りを果たすが、72年に成績不振により退団。その後、クラウンライター(のちの西武)、ダイエー(現・ソフトバンク)で監督、そして事実上のGMとしてチームを強化。ドラフトやトレードで辣腕をふるい、「球界の寝業師」の異名をとった。1999年4月30日、心筋梗塞により72歳で死去した。

王貞治…1940年5月20日、東京都生まれ。59年に早稲田実高から巨人に入団。62年に荒川博コーチの指導で一本足打法に取り組み、64年に日本記録(当時)となるシーズン55本塁打を達成。73、74年には2年連続三冠王を達成し、77年には世界記録となる通算756本塁打を放つ。80年に現役を引退。通算成績は2786安打、868本塁打(世界一)、2170打点。引退後は巨人、ソフトバンクで監督と務め、2006年には第1回WBCの日本代表の 監督として世界一に輝いた。現在はソフトバンクホークス会長。

川上哲治…1920年3月23日、熊本県生まれ。熊本工から38年に巨人に入団し、卓越したバット技術で「打撃の神様」の異名をとり、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回など、数々のタイトルを獲得した。58年に現役を引退し、61年から監督に就任。王貞治、長嶋茂雄らを率いて、65年から前人未到の9年連続日本一を達成した。プロ通算成績は2351安打、181本塁打、1319打点。

田淵幸一…1946年9月24日、東京都生まれ。法政一高から法政大を経て、68年ドラフト1位で阪神に入団。大型捕手として注目され、1年目からレギュラーを獲得。22本塁打を放ち、捕手として初めて新人王に輝いた。75年には43本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得。78年オフ、トレードで西武に移籍。西武でも主砲として活躍し、82、83年は日本一に貢献。84年に現役を引退した。プロ通算成績は1532安打、474本塁打、1135打点。

野村克也…1935年6月29日、京都府生まれ。峰山高から54年にテスト生として南海に入団。入団3年目の1956年からレギュラーに定着すると、現役27年間にわたり球界を代表する捕手として活躍。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王などその強打で数々の記録を打ち立て、不動の正捕手として南海の黄金時代を支えた。その後、ロッテ、西武でもプレイし、80年に現役を引退。引退後はヤクルトの監督として3度の日本一を経験。阪神、楽天でも監督を務めた。通算成績は2901安打、657本塁打、1988打点。

山内一弘…1932年5月1日、愛知県生まれ。社会人の川島紡績から52年に毎日オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団。右の強打者として知られ、首位打者1回(57年)、本塁打王2回(59年、60年)、打点王4回(54年、55年、60年、61年)を獲得した。63年オフに小山正明とのトレードで阪神へ移籍。67年に史上2人目となる2000本安打を達成した。68年に広島に移籍し、70年限りで現役を引退した。通算成績は2271安打、396本塁打、1286打点。

江夏豊…1948年5月15日、兵庫県出身。大阪学院高から66年の1次ドラフトで4球団競合の末、阪神が交渉権を獲得し入団。1年目から12勝を挙げ、2年目は25勝で最多勝を獲得。また、日本記録となるシーズン401奪三振をマークした。73年にも24勝を挙げ2度目の最多勝に輝く。76年1月にトレードで南海に移籍。当時監督の野村克也の勧めでリリーフに転向。77年オフ、金銭トレードで広島に移籍し、79年、80年と2年連続日本一に貢献。その後、日本ハム、西武でもプレーし、84年に現役を引退。通算成績は829試合に登板し、206勝158敗193セーブ。

秋山幸二…1962年4月6日、熊本県生まれ。八代高から80年にドラフト外で西武に入団。2年目の82年にイースタンリーグの本塁打王を獲得。翌年から野球留学でアメリカに渡るなど英才教育を受ける。85年にレギュラーを獲得し、この年40本塁打をマーク。その後も西武の主軸として黄金期を支えた。94年にトレードでダイエー(現・ソフトバンク)に移籍。2000年に通算2000本安打を達成した。02年に現役を引退。通算成績は2157安打、437本塁打、1312打点。

伊東勤…1962年8月29日、熊本県生まれ。熊本工時代の80年に夏の甲子園に出場し、当時、西武の監督だった根本陸夫に才能を見出され、81年に熊本工から所沢商(定時制)に転向。同時に西武球団の職員に採用された。翌82年のドラフトで西武から1位指名を受け入団。1年目から一軍出場を果たし、3年目から正捕手の座をつかむ。以後、長きにわたり西武の正捕手を務め、黄金時代を築く。03年に現役を引退。04年から07年まで同チームの監督に就任。12年からロッテの監督を務めている。通算成績は1738安打、156本塁打、811打点。

松沼博久…1952年9月29日、東京都生まれ。取手二高(茨城)から東洋大に進み、卒業後は東京ガスに入社。78年の都市対抗の丸善石油戦で17奪三振を記録。同年、ドラフト外で弟の雅之とともに入団。79年は16勝をマークし、新人王を獲得。翌年以降も先発投手として活躍し、82年の日本一に貢献。90年に現役を引退し、その後は解説者として活躍。ロッテ、西武などで投手コーチも務めた。通算成績は297試合に登板し、112勝94敗1セーブ。

松沼雅之…1956年7月24日、東京都生まれ。兄・博久と同じく取手二高から東洋大に進学。76年秋のリーグ戦で8勝をマークし、チームの初優勝に貢献。その後もエースとして活躍し、リーグ戦通算39勝を挙げた。78年にドラフト外で西武に入団。79年はルーキーながら4勝をマークすると、翌年から5年連続して2ケタ勝利を挙げた。89年限りで現役を引退。通算成績は241試合に登板し、69勝51敗12セーブ。

郭泰源…1962年3月20日、台湾生まれ。84年に台湾代表としてロザンゼルス五輪に出場し、銅メダル獲得の立役者となる。その後、西武と契約を交わし入団。入団1年目の85年、6月4日の日本ハム戦でノーヒット・ノーランを達成。この年、シーズン途中で肩を痛め9勝に終わるが、87年から3年連続して2ケタ勝利をマーク。その後も主戦投手として活躍。97年に現役を引退した。通算成績は272試合に登板し117勝68敗18セーブ。

深見安博…1919年11月26日、兵庫県生まれ。報徳学園から中央大に進み、ノンプロの西日本鉄道を経て、50年に西鉄が新設したプロチーム、西鉄クリッパーズに入団。52年に大下弘とのトレードで東急フライヤーズに移籍。同年25本塁打を放ち本塁打王のタイトルを獲得。57年に現役を引退。68年に根本陸夫に請われて広島のコーチに就任。72年に死去。