2016.03.20

【根本陸夫伝】
「巨人=絶対」という球界の構図を壊した男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 各球団は翌年のドラフトで上位指名する意向を伝えて一旦は手を引いたが、西武は伊東を球団職員に採用し、西武球場近くの埼玉・所沢高の定時制へ転校させた。練習生として囲い込み、他球団が手を出しにくい状況を作ったのだ。練習生は支配下選手ではなく、他球団も指名は自由だったが、結局、伊東は81年のドラフトで西武に1位指名されて入団した。

巨人が動いたときには西武はすでに関係を築いていた

 アマチュア球界の逸材が巨人ではなく、新生西武に入団していく状況。そのきっかけともいえるひとつの変化を、まだ現役だった当時の王も感じ取っていた。

「あの頃、ジャイアンツが『獲りに行く』って言ったら、だいたい、『どこかの球団に決まりかかっていても、ジャイアンツへ行く』っていうのがあった。けれども、あの、松沼兄弟からかなあ。『もうジャイアンツへ行くだけじゃないんだ』っていうものを見せたのは。彼らふたりがどう思ったかしらんけども、根本さんが編成のトップだった西武はガチッと決めてたよね」

 松沼兄弟の兄・博久は東洋大を経て東京ガスで活躍し、弟の雅之は東洋大のエース。この両投手は兄弟で一緒にプレーする意志が強く、各球団とも、どちらかを指名しての入団拒否を恐れたため、78年のドラフトでは指名されなかった。こうしてドラフト外の獲得競争になった結果、巨人入団が決まりかけていた即戦力の逸材を、西武が逆転で獲得したのだ。