鉄平の激白「すべてを失った2011年。それでも悔いはない」 (4ページ目)

  • スポルティーバ●文・写真 text&photo by Sportiva

―― 最後までその形を取り戻せなかった?

「ダメでした。戻れるかなと思ったのですが、何もかもわからなくなってしまって……。ただ、自分の打撃の可能性を考えた結果なので、そこに関しては悔いはないです。うまくかみ合わなかっただけの話なんで……」

―― 15年のプロ野球生活を振り返って、最も鮮明に覚えていることは何ですか?

「……なんだろう。やっぱりプロ1年目の合同自主トレですね。プロ野球といえば、日本の野球のなかで最高峰じゃないですか。そんなところで本当にやっていけるのか、不安で仕方なかった。だから、合同自主トレの初日の情景は今でもはっきり覚えています。山に囲まれた場所でサーキットトレーニングをやって、なぜかずっと平井堅さんの曲が流れていたんですよね。『ああ、プロって曲を流しながら練習するんだ』って妙に感動して……それがいちばん記憶に残っていますね」

―― 不安でしかなかったプロの世界で、15年間やることができた理由は何だと思いますか?

「バッティングというものを追求したからじゃないですかね。足が速いわけでもないですし、守備だってうまくない。ただ、バッティングについてはこだわりがありましたし、少しだけですが結果を残すことができた」

―― 楽天のジュニアコーチに就任されたとお聞きしました。

「オリックスを戦力外になり、すぐ楽天から連絡をいただきました。それで現役続行の意志を伝えたら、『待っているから』と言ってくださって。もちろん、他の選択肢もありましたけど、真っ先に声をかけてくれたのが楽天でしたし、仙台に戻って恩返しをしたいという気持ちもありましたので、『よろしくお願いします』と返事をさせていただきました」

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