FA宣言→テスト入団。なぜ木村昇吾はハイリスクを選んだのか (2ページ目)

  • 前原淳●文 text by Maehara Jun
  • photo by Kyodo News

 木村は今年でプロ入り14年目。35歳。多くの逸材を輩出したゴールデンエイジ"松坂世代"のひとりだ。2002年のドラフトで最下位指名となる11巡目で横浜(現・DeNA)に入団した。

「一番下から入ったけど、同期入団の中で最後までユニフォームを着ることを目標にしてきた」

 アマチュア時代から持ち続けた高い向上心に、反骨心が加わった。第一線で長くプレーし続ける。その一心でグラウンドに立ち続けた。二軍暮らしが続いた横浜では一軍でのプレーを夢見た。思うようにチャンスがもらえなくても、自己研磨の日々に全力を注いだ。

 07年オフ、広島へのトレードが大きな転機となった。新天地で木村は初めてポジションを得た。当時のブラウン監督に守備力と脚力を買われ、守備固めと代走要員としてベンチ入り。出場機会も前年の10試合から一気に94試合へと急増した。

 その後も安定して一軍でプレーしていた木村にチャンスが訪れる。10年に二塁手の東出輝裕が、11年に遊撃手の梵英心がそれぞれ負傷で離脱した。その間、いずれも代役を務めたのが木村だった。

 特に11年は、本職とする遊撃で自己最多の106試合に出場し、安打や打点、犠打、四球など、多くの部門でキャリアハイを記録した。また13年も、離脱した堂林翔太の代わりに三塁の定位置に入り、球団初のクライマックス・シリーズ進出に貢献した。

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