谷繁元信が盟友に明かす「引退の経緯と最後に見せた涙のわけ」 (6ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva 寺崎敦●取材協力 cooperation by Terasaki Atsushi
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

野村 そうやって遊びながら勝手に体を鍛えているんですよね。だから、やっぱり環境ですよ。同じ広島出身でも僕はシティ派だけど、シゲはカントリー派だからね(笑)。

谷繁 僕は田舎ですからね。同じ広島で学年もひとつしか変わらない。甲子園にも2年生の時にやっとの思いで出ていますけど、当時の弘樹さんは全国制覇したPLのエース。雲の上の人ですよ。

野村 当時はね(笑)。でも、中学時代って僕はボーイズだったけど、シゲはどこにいたの?

谷繁 僕は中学の軟式野球部です。

野村 そうすると、接点がないですよね。最初に会ったのはプロ入りして大洋の寮だったよね。

谷繁 そうですね。広島出身っていうことで、担当のスカウトも一緒で、その方に紹介してもらったんです。「ちゃんと面倒見ろよ」って。それからですね。いろいろと悪の道に誘っていただいたのは(笑)。

野村 社会勉強だよ(笑)。でも、オレは33歳で引退したけど、シゲは45歳まで頑張れたんだからね。ふたりの年齢を足しても41歳だった「若武者バッテリー」と呼ばれた時から26年経ったんだけど、ふたりで目の前の試合に一生懸命になって、勉強して、成長していって、その結果として優勝することもできた。でもあの時から関係性はあんまり変わらないよね。

谷繁 変わらないですね。

野村 この先も、立場がどうであろうと、こんな感じでずっと行くんだろうね。

谷繁 いやいやいや、わからないですよ。何年後かに僕がメディアのほうに入ったら、「オマエ、メディアは1年生だろ」って、急に先輩風を吹かしてくる可能性もないとはいえませんよ(笑)。


次回につづく

■撮影協力/ぐらすうっど(横浜市青葉区)

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