現役引退の谷佳知が語った「残り72本よりも大切なもの」

  • 楢崎豊(報知新聞社)●文 text by Narasaki Yutaka
  • photo by Kyodo News

 巨人では、子どもの頃から「ファンだった」という原辰徳監督(当時)が現役時代につけていた背番号「8」をもらい、その指揮官のもとで勝負の厳しさを学んだ。

「原さんは野球を知り尽くし、細かい戦術をされていた監督。選手が苦手なことでも必要とあればさせ、確実に勝ちにいく。1点の大事さを教えてもらった」

 オリックス時代はあまりバントをしなかったが、巨人では2番に入ることもあり、バントをするケースもあった。

「(バントは)意外とできていたかもしれない。いま思うと、パ・リーグとセ・リーグの野球が違うのは、そのへんにあったと思う。パ・リーグは豪快に打ちにいく感じがあり、セ・リーグは投手が打席に入るため、代打や代走など、選手全員を使うイメージがある。原監督はそういうことを計算に入れながら起用していたし、名監督だと思います」

 そして谷にはもうひとり、尊敬する名将がいる。オリックス入団時の監督で、2005年に他界された仰木彬氏である。仰木監督の采配には何度も驚かされた。

「基本的にはデータ重視だけど、直感が鋭い。ここでこの選手を出せば活躍するとか、この場面ならこの選手が打つだろうということが、初めからわかっていたような采配をされていた」

 たとえば、選手や選手の妻、子どもの誕生日、さらには結婚記念日や家族が故郷から見に来ている日などを事前に把握していた。そして、その選手を試合で起用する。

「仰木さんはたぶん調べていたんだと思う。『ここでこの選手出す?』というような場面で、起用して、それが当たる。そりゃ選手は頑張るよね。活躍すれば、チームに勢いもつくそのあたりの選手起用がとてもうまかった」

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