前田健太の両親が語る「仮面ライダーが世界のマエケンになる日」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

「それから1年は天井を向いて寝ていました。しばらくは足の感覚もなくて、入院8カ月で家に戻ってからもほとんど寝たまま。だから、健太が5歳の頃まではほぼリハビリばかり。それまでは草野球もやっていましたが、ケガをしてからは健太の野球を見ることが一番の楽しみになりました」

 対して、少年野球チームの関係者の間で人気者になっていたのが幸代さんだった。明るい性格でチームにもすぐに馴染み、関係者からは「さっちゃん」「ムードメーカー」と慕われた。

 幸代さんについては、プロ入り後の前田が「オカンにケツを叩かれ……」といった調子で語ったこともあり、一部のファンの間でイメージが作られていたところがある。しかし、このことについて幸代さんに聞くと、やんわり否定した。

「健太も大阪の子なんで、面白おかしく言うんですよ。おかげで、私がすごく怖い母親みたいになっていますけど、十分かわいがっていましたから(笑)」

 土日は息子の野球のスケジュールに合わせて動き、平日も勤めに出ながら、前田が中学生になると朝の5時から弁当作り。体を大きくするため、三段重ねの弁当箱に大好きな肉と、苦手な野菜も工夫しながら入れた。

「お弁当を食べきれなかったときは家に帰って食べていました。『もういいよ』と言っても、残すのは悪いと思ってくれたんでしょうね」

 治茂さんも続ける。

「ほうれん草も大の苦手でしたけど、飲み込んで食べていましたし、牛乳も鼻をつまんで飲んでいました」

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