前田健太の両親が語る「仮面ライダーが世界のマエケンになる日」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 治茂さんは、自転車にまつわる思い出話をしてくれた。

「とにかくスピードが速くて、乗りこなしも天下一品。あれには、野球よりも前に驚かされました。でも、溝にはまったり、田んぼに突っ込んだりするから、すぐにダメになる。7、8台は買い換えました(笑)」

 どのエピードも元気いっぱいの健太少年の姿が浮かんでくる。そんな前田のスポーツ歴は、2歳で体操教室に通い、続けて水泳教室、エアロビクス教室、幼稚園に入るとサッカーに夢中になった。

 小学校に進むとソフトボールを始める一方で、サッカーチームに入り"その道"を目指すことも考えたという。しかし、最終的に前田が選んだのは野球だった。小学2年でチームに入ると、みるみる野球にのめり込み、3年になる頃には平日の夜にランニングも始めた。

 これは幸代さんの勧めで、岸和田イーグレッツ(少年野球チーム)でのある試合で前田が打ち込まれたことがきっかけだった。そのとき、幸代さんも悔しくて、試合後、コーチに「健太はどうしたらもっとうまくなれますか?」と尋ねた。すると、「ピッチャーはとにかく下半身。走らなアカン」と言われ、それから毎日、夕食前に自宅近くのグラウンドで走るようになったのだ。

 前田はPL学園時代も率先して走り込むタイプだったが、その習慣はこの時期に身についたものだ。幼少期の話には幸代さんの登場が多いが、この時期、治茂さんは主に観戦者だった。実は前田が3歳のとき、トラック運転手だった治茂さんは仕事中の事故で脊椎を骨折。一時は、医師から半身不随の可能性を宣告されるほどの重傷を負った。当時を治茂さんが振り返る。

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