2015.11.21

【根本陸夫伝】
選手全員の「行きつけの店」まで知り尽くしていた男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 日野に理由を問われた大田は、坂井の言葉を聞いて、「試合に出てケガしたら損だと思ったから」と説明した。「なにくそ」と思ったら人一倍やる気を出す大田だったが、なにかの拍子にやる気をそがれたら最後、絶対に身が入らない性格だった。「じゃあ、職場放棄でいいんだな?」と日野が訊くと、「いいですよ。監督に言ってください。クビでいいですよ。11球団ありますから」と大田は返した。

「日野さんはそのまま根本さんに言っちゃったらしい。そしたら『うん、じゃあもういい。出なくていい』って(笑)。それで終わりでしたよ、根本さんは。ペナルティなんかなんにもなかった」

 九州時代から息が合っていた坂井と根本の、特別な間柄に守られていた面もあったのだろう。が、翌82年に根本がフロントに入り、広岡達郎が監督に就任するとチーム環境が一変した。

大田発案の集会でチームがひとつになった

「広岡さんが監督になるとき、土井さんを『いらない』って言った。だから土井さんは根本さんに『もう引退しろ』と言われて、引退させられた。オレは土井さんと同じタイプだから、たぶん広岡さんは『いらない』って言ったはず。でも根本さんがね、『アイツは残しておけ』って言ってくれたと思うんですよ。じゃないとさ、キャンプで広岡さんから『落伍者』って言われなかったと思う」

 82年2月のキャンプ初日。足を痛めた大田に対し、広岡は厳しく接した。プロ14年目のベテランにも容赦なく、その上でマスコミに向けて言った。「最初からDHを狙う選手はいらない。打って、守って、走れるのが野球の基本。故障で決められたメニューができないのなら、このグラウンドにいる必要はない」と。翌日から大田は全体練習から外されたという。