楽天・安樂智大、プロ初勝利も「ダメ出し」をした父の思い (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 その後は、全国制覇を目標に、厳しい練習に耐えた。その中で安樂がなによりこだわってきたのがストレートであり、スピードだった。

 2年夏に157キロを出したあと、大谷翔平(当時、花巻東3年)が160キロを記録し、安樂は「新しい目標ができました」と意気込んだ。しかし、直後の秋に右ヒジを故障。それから150キロのカベを打ち破れずにいる。晃一さんが言う。

「今年、ファームでは一度も150キロを出していないはずなんです。149キロが出たとは聞きましたが……。あれだけ普通に投げていた150キロが出ない。本人に今いちばん聞きたいのは『本当に痛くないんか? 不安はないんか?』ということ。まあ、いずれにしても返ってくる答えはわかっていますけど(笑)」

 5月に甲子園で登板(阪神との二軍交流戦)した際は、晃一さんも観戦し、夜は食事をともにした。しかし、それからしばらくして足首を捻挫し戦線離脱。「あの影響も少しあったのかな」と、150キロに届かない理由について語った。

 ようやくたどり着いた一軍、そして初勝利に安樂は、「すごく長く感じました。入団してから自分のボールが投げられない日が続いていましたし、2~3年後に出てくればいいと言ってもらっていましたけど、周りの同級生が活躍していく中で、『自分はこんなことでいいのか』という思いもありました」と振り返った。

 晃一さんも、誰よりも負けず嫌いな息子の心情を思い、「西武の高橋(光成)選手があれだけ活躍して、イースタンで本塁打を打たれた巨人の岡本(和真)選手も一軍、チームメイトの小野(郁)くんも150キロを超えるボールを投げている。それは本人も思うところがあったのでしょう」と思いやった。

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