槇原寛己が語る、悪夢の3連発。「1985年の阪神は最強だった」 (4ページ目)

  • 川端康生●構成 text by Kawabata Yasuo
  • photo by Kyodo News

 そして2番の弘田さんは、小技がうまくて、バントも、エンドランも、何でもできる選手でした。ただ、何より厄介だったのは、弘田さんと対戦しているときに、バース、掛布さん、岡田さんという、そのあとに控えるクリーンアップのことが、どうしても気になってしまうこと。真弓さん、弘田さんと続けて出塁されてしまったら、大量失点の危険性がありますから......。本当に気が抜けなかったですね。

 さらに、佐野さんもいいバッターだったし、木戸さんは意外性があった。こうして記録を見直せば、ふたりとも下位打線なのに、13本もホームランを打っている。

 やっぱり最強じゃないですか、あのシーズンの阪神は。

 もうひとつ、付け加えるとすれば、あの1985年は甲子園の熱気がものすごかったんです。お祭り騒ぎというか、イケイケというか、ちょっと異常でした。

 試合終盤になると、フォアボールひとつ出しただけでも、球場全体がウォーと盛り上がる。地鳴りがするというか、その雰囲気だけで、マウンドにいるとものすごいピンチになったような気持ちなるんです。ファンがかもし出したあの熱気も、間違いなく優勝への勢いになっていましたね。

 そんな阪神ファンの"熱気"に火をつけたのも、やっぱりあの「3連発」だったんだと思いますけど......。

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