槇原寛己が語る、悪夢の3連発。「1985年の阪神は最強だった」 (3ページ目)

  • 川端康生●構成 text by Kawabata Yasuo
  • photo by Kyodo News

   改めて記録を振り返ってみても、あの年の阪神打線はすごかったと思いますよ。本塁打だけ見ても、バースが54本、掛布さんが40本、岡田さんが35本。このクリーンアップは普通じゃない。

 しかも、3人とも逆方向に長打が打てましたからね。「外角に投げておけば大丈夫」というわけでもない。ホームランバッターでも、一方向だけならまだ対処のしようがあるけど、掛布さんはもちろん、岡田さんもライトにホームランを打っていましたからね。

 おまけに、バースはあれだけ足が遅くて、内野安打がないのに、打率が3割5分。岡田さんも、3割4分。これでは、手がつけられません。

 ピッチャーの立場から言えば、4番バッターが3人並んでいるような感じ。阪神と対戦するときは、とにかくこの3人のことがいつも頭から離れないわけです。そんなふうに思わせる打線は、そうそうありませんよ。

 しかも、あのときの阪神打線は、そのクリーンアップだけにとどまらなかった。まず、トップバッターの真弓さんにも長打力があった。

 1番バッターというのは普通、フォアボールを選ぶとか、コツコツ単打で塁に出るとか、そんなイメージ。それなのに、真弓さんはホームランが34本ですよ。新しいタイプの1番バッター像でしたね。まさにトップバッターから気が抜けないわけですから、ピッチャーはたまりません。

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