山田、柳田で注目。トリプルスリーに「あと一歩」だった選手たち (3ページ目)

  • 和田哲也●文 text by Wada Tetsuya
  • photo by Kyodo News

 本来なら達成者に名を連ねていたはずだったのが長嶋茂雄だ。プロ入団初年度の1958年に本塁打が1本足りず記録達成を逃したが、この年の長嶋には幻となった本塁打がある。9月19日の広島戦で放った打球は左中間のフェンスを越えるも、1塁を回る際にベースを踏み忘れて、塁審から「アウト」の宣告。この本塁打が取り消しになっていなければ、ルーキーでのトリプルスリー達成という初の快挙となっていた。もっとも、この記録の逃し方が"記録よりも記憶に残る男"と称されるゆえんなのだろう。

 現役生活23年で16回も打率3割を上回った張本勲が、打率が足りずトリプルスリーを逃したのは何とも意外。1963年の張本は月によって好不調の波が激しく、3割に届くまでわずか11本のヒットが足らなかった。これも意外(?)ながら足は速く、この年の41盗塁をはじめ通算319盗塁を記録。通算504本塁打と合わせ、生涯成績で「3割300本300盗塁」という"異型トリプルスリー"を達成している。

 張本の最多安打記録(3085本)を日米通算で上回った、平成の"タイトルコレクター"イチロー(マーリンズ)もトリプルスリーには届かなかった。オリックス時代の1995年は首位打者、盗塁王に加え、80打点で打点王のタイトルも獲得。25本に終わった本塁打については、「イチローはアベレージヒッターだから」と思われるかもしれないが、この年の本塁打王・小久保裕紀(当時・ダイエー)の28本にあと3本と迫っていた。もしトリプルスリーを達成していたら、史上初となる三冠王との同時達成という偉業を成し遂げていたのである。

 どんなに能力のある名選手でも、ちょっとした巡り合わせで達成を逃すほどに、トリプルスリーの前には"見えない壁"がある。山田と柳田にはどうか今の勢いのまま、その壁を打ち破ってもらいたい。

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