山田、柳田で注目。トリプルスリーに「あと一歩」だった選手たち

  • 和田哲也●文 text by Wada Tetsuya
  • photo by Kyodo News

 山田、柳田のおかげで過去の達成者が話題になる一方、これまで「トリプルスリーまであと一歩に迫りながら届かなかった選手」もいた。以下にその名を挙げてみよう。

1949年 大下弘(東急)    打率.305 本塁打38 盗塁27
1950年 小鶴誠(松竹)    打率.355 本塁打51 盗塁28
1950年 青田昇(巨人)    打率.332 本塁打33 盗塁29
1950年 川上哲治(巨人)   打率.313 本塁打29 盗塁34
1958年 長嶋茂雄(巨人)   打率.305 本塁打29 盗塁37
1963年 張本勲(東映)    打率.280 本塁打33 盗塁41
1985年 松永浩美(阪急)   打率.320 本塁打26 盗塁38
1995年 イチロー(オリックス)打率.342 本塁打25 盗塁49
2003年 井口資仁(ダイエー) 打率.340 本塁打27 盗塁42

 赤字はトリプルスリーの条件を満たさなかった数字

 ここで挙げた条件は、「打率3割・30本塁打・30盗塁」のうち2つを満たし、かつ、届かなかった部門の成績が「打率2割8分・25本塁打・25盗塁」以上の選手。決して数は多くないが、レジェンド級の豪華なメンバーがズラリと並ぶ。

 真っ先に目に入るのは、"打撃の神様"と呼ばれた巨人の川上哲治。卓越したバットコントロールでヒットを量産した川上も、現役生活で本塁打が30本を超えたシーズンはなく、1950年の29本がキャリアハイだ。鈍足ながら、投手のクセを盗む努力を重ねて30盗塁を上回った年だっただけに、あと1本足りなかった本塁打が何とも悔やまれる。

 同年には、川上の好敵手だった青田昇や、松竹の「水爆打線」の主軸として当時のホームラン記録を更新した小鶴誠も、わずかに盗塁数が足りずトリプルスリーを逃している。もし、この3人も達成していたら、前出の岩本、別当と合わせ、1950年は合計5人ものトリプルスリー達成者が生まれるというとんでもない年になっていた。

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