DeNA山﨑康晃に「考える力」を与えた7年間の猛練習 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 もちろん亜細亜大にも「真夏の猛練習」はあった。北海道・釧路で行なわれる夏季キャンプだ。涼しい北の地で、さぞ快適に練習ができるのかと思いきや、山﨑は苦しそうな表情で「足がちぎれそうになる」と表現した。

「宿舎からグラウンドまで走ってこいと言われて、練習前に6キロも走らなければいけないんです」

 驚くべきことに、この練習前ランニングは生田勉監督も走るという。山﨑が大学1年時点で生田監督は45歳。ただ選手にやらせるだけでなく、指揮官自らが走ることで独特の緊張感が生まれた。

「監督、普通に選手を抜いていくんですよ。みんな練習前に疲れないようにと最短ルートを狙ってパチンコ屋の駐車場を通ったりしていたんですけど、そんななかで監督が『富士山を登るのに近道なんてねぇんだよ!』と。それからはみんな、監督と同じ道を走るようになりました」

 グラウンドでみっちり練習した帰りも、行きと同じように6キロの道のりを走って帰る。もちろん、生田監督も一緒だ。「やる気がない」とみなされれば東京に強制送還されることもあり、選手たちは気を抜くことができなかった。

「この生活が2週間も続くと、本当に足がちぎれそうになります」

 そう語る山﨑の言葉は、決して大げさには聞こえなかった。

 それにしても、高校・大学時代の7年間の話を聞いていても、陸上部のエピソードかと思うくらいに走る内容ばかりだ。これだけ走らされていると、「いいピッチャーになるために走る」という本来の目的が置き去りになって、「練習に耐える」という刹那的な目的にすり替わってしまいそうだ。そのことを山﨑に問うと、こんな答えが返ってきた。

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