甲子園春夏優勝投手、ソフトバンク島袋洋奨の現在地 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sportiva

 中央大時代、島袋は苦しんだ。

 とくに3年の秋から4年にかけて、彼は突如として制御不能に陥(おちい)ったのである。東都大学のリーグ戦で、なんと5つも続けてフォアボールを出した。バックネットに直接、ボールをぶつけるという、とんでもない大暴投もしでかした。押し出しのフォアボールも珍しくなかった。その原因について島袋は、こう言っている。

「全部、自分の中の気持ちの問題だとは思うんですけど......大学のときは、これをやると決めても、その途中で焦ってしまうところがありました。進路のこともありましたし、チームとしても勝てなければ二部降格もある世界だったので、じっくり取り組むことができなかったのかなと思います」

 高校時代、甲子園で13試合に登板し、歴代3位にあたる130個の三振を奪った。完成度の高い18歳 のサウスポーには、プロからも熱い視線が注がれた。3年のセンバツで全国制覇を成し遂げた頃、島袋はプロの世界に興味を抱き始めた。しかし悩んだ挙げ句、行こうと思えば行けたプロへの道を選ばず、大学へ進むことを決めた。夏の大会が始まる直前のことだった。それは、まだ身体もできていないうちからプロへ行くのは早すぎる、大学でやるべきことをやってからでも遅くないという思いがあったからだ。しかし、高校のときには当たり前のようにできていたことが、大学でできなくなった。忸怩(じくじ)たる思いは想像に難くない。

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