二面性の男・金子千尋。高校時代のあるエピソード

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 入学後の金子を山寺氏とともに指導した人物がいた。それが臨時コーチをしていた矢野典佳氏だ。矢野氏はテレビ静岡での勤務の傍(かたわ)ら、独学で動作解析などを学び、静岡県内のみならず近県の高校でも指導を行なっていた。その矢野氏も金子のピッチングを見て、ひと目で素質の高さを感じたという。

「投球動作というのは、直線運動と回転運動からなるのですが、金子はここがとにかくスムーズ。運動連鎖がきっちりできているから、力に頼らず、しっかり腕が振れるし、回転のいいボールを投げることができる。それにフォームが安定しているのでコントロールもいい。同じコースに何球でも投げることができました」

 1年秋から先輩投手とともにマウンドに上がっていた金子だったが、一気に評価を上げたのが北信越大会の準決勝・高岡第一(富山)戦だった。勝てば、翌春のセンバツ大会の出場がほぼ確実となる大一番で、金子は延長12回を投げ切り1-0の完封勝利を収めた。決勝は敗れたものの、実に68年ぶりとなるセンバツ出場を決めた。

 ちなみに、当時の金子は身長174センチで体重は60キロ。球速も130キロそこそこで、変化球もカーブとスライダーのみ。ところが、センバツの直前に球種をひとつ増やすことになった。それが、今でも金子の得意球のひとつであるカットボールだ。

 センバツ直前の練習試合で金子は打ち込まれてしまった。「このままではマズイ」と思った矢野氏が急遽教えたのがカットボールだった。矢野氏が15年前を振り返る。

「当時、日本のプロ野球では、"カットボール"という球種はまだ知られていませんでした。ただ僕は、いろんな情報の中でカットボールの存在は知っていて、『困った時はこれだ!』と温存していたんです。たしか、大会が始まる3日前に金子に教えたんですよ」

 矢野氏はストレートの握りを少しずらして投げる新球を伝授。センバツ初戦の岩国戦で6回途中からマウンドに上がった金子は覚えたての新球を多投すると、相手打者を面白いように詰まらせ凡打の山を築いた。

 試合後、記者から「あのボールは何ですか?」という質問が飛んだ。山寺氏と矢野氏から「夏もあるから、スライダーがおかしな変化をしましたと答えておけ」と言われていた金子はその通り記者に返した。そのため話題になることはなかったが、金子は大きな自信をつかんだ。

 2年夏は背番号10ながら実質的エースとして投げ、長野大会決勝へと駒を進めた。ここで忘れられない一戦を経験することになる。2-1と長野商業の1点リードのまま9回表を迎えた。一死から二塁打を許すも、次の打者を内野ゴロに打ち取り、二死三塁。甲子園まであとひとりと迫った。そしてカウント2-2からアウトコースへストレートを投げ込んだ。すると、球審の右手に力が入り、一瞬、上がりかけた。しかし......。

「『よし決まった!』と立ち上がろうとしたんですが、判定はボール。その直後、同点にされたのですが......あの1球は忘れられないですね」(山寺氏)

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